慟哭 -07-  透明な楔
幻想水滸伝



 ずっと考えていた。
 僕の選んだ道は、本当に正しい事なのだろうか、と。
 だけど、どれほど考えても答えは出ない。
 教えてくれる人もいなかった。

 右手に宿る紋章が、一つ、また一つと力を増していく。
 僕の近しい人を、その魂を取り込んで。


 オデッサさん。

 優しく、強かった女性。
「現実から目を逸らさず、周りを見なさい」
 理不尽がまかり通る政治。
 横暴な地方官吏に虐げられる人々。
 僅かな期間で目にした物は、昔描いていた理想とは違う現実。
 最初は信じられなくて。信じたくなくて。
 目を逸らさず、あるがままを受け入れるには勇気がいるのだと、初めて知った。
 そして、その事を受け入れるきっかけを作ってくれた彼女は、僕がそれを伝えられぬままに帰らぬ人となった。

 ―――昏き紋章が力を宿す。


 グレミオ。

 幼い頃から変わらず側にいた母親のような存在。
 散々我が儘を言って困らせた。
 その困った顔を見るのが一番好きだったと伝えれば、彼はこう言っただろう。
「酷いですよ、ぼっちゃん!!」と。
 小さな悪戯にも一々反応してくれる事が、どれだけ嬉しかったか、今になって分かる。
 僕が僕であると言うこと。誰の代わりにもならない、ただ一人の人間だということ。
 それを確かな物としてくれたのは、他ならぬ彼だった。
 彼は、その身を楯にして、僕達を守って。
 死に顔すら見せずに逝った。

 ―――新たな力を得る。


 父さん。

 誰よりも敬愛していた人だった。
 肉体のみならず、精神的にも比類無き強靱さを備えていた父。
 その強さにどれだけ憧れただろう。
 いつかは側で戦える日が来ると、何も疑っていなかったあの頃。
 父を目標に、強くなることを目的に稽古に励んだ時間。
 全ては鮮やかに思い出せるのに。
 あれほど夢見た父との手合わせ。
 漸くその域に達する事が出来た時。
 既に、全ては引き返せない所まで来ていた。
 父には父の、僕には僕の守るべきもの。
 そして、僕は父の亡骸を抱いた。
 父殺しという、罪と共に。

 ―――死に神の鎌が大きくなる。


 テッド。

 初めての友達。初めての親友。
 街の子供達は皆、僕の後ろに百戦百勝将軍テオの姿を重ね、一人として踏み込んでくることはなかった。
 その中で出来た、たった一人の友人。
 昔からずっと一緒に居たのだと錯覚するほど近くにいて。
 あれほど昏いものを抱えていたなんて、想像もできなかった明るい笑顔。
「一生のお願いだよ!」
 それが口癖だった。
 一生のお願いが何度あるんだ、と笑った日々。
 俺の分まで生きろ。
 そう言って300年の生を閉じた時。
 気の遠くなる様な時間の果てに、彼は何を思ったのか―――。

 ―――そして。
 ソウルイーターが昏く、歓喜したように輝いた。

 彼らの力を、我がものとして。



 命の重さに変わりはない。
 戦争で命を落としたのは、僕の周りにいた人だけじゃない。
 他にも数多くの命が失われ、その死を哀しむ人がいる。

 その戦争を指揮するのが僕ならば、僕に、泣く資格は無い。

 過去を封じ込め、前だけを見ることを自分に課した。

 そうしなければ、立っていられなかった。
 笑顔を浮かべ、周りを安心させる事が出来るように。
 皆を、心配させることがないように。

 誰かの涙を見る度に、そして誰かが僕に期待する度に、少しずつ心が凍っていく。

 だけどそれでもいい、歩いていけるなら。
 みんなの期待を裏切られずにいられるなら、それで――――。



 帝国に残った最後の将軍である彼女の言葉。
 凍った心に、楔が打ち込まれた。

『父さん………』

 覆っていた氷が剥がれ落ちる。
 溶けていく感情は吐き気を伴って僕を蝕んでいく。

 覚悟していた。
 裏切り者と罵られることも、父殺しと斬りつけられる事も。

 その事実から逃れようとは思っていない。
 だけど、覚悟していたからといって、それを全て受け入れられる程強くはなかったらしい自分に苦笑が漏れる。

 でも、それよりも、溶けた心に突き刺さったのは―――。



「大丈夫ですか、ぼっちゃん」
 とても心配そうに、それを見た僕の方が辛くなるような表情で覗き込んでくるクレオ。
「ああうん、大丈夫、なんでもないよ、クレオ」
 僕は、笑った。
 上手く笑えたかどうかは――分からないけど。


 その後、どうやって城まで戻って来たかも、記憶になかった。
 もう、何も考えたくない。
 それだけを思った。

 ただ、怖かった。
 自室に戻るのが。
 ここに入れば、次の日にはまた笑顔で出てこなければならない。

 このドアを開けて、中に入るのが―――。



「だから、逃げたのか?」
 ―――そう。
「逃げて、それで何か解決するのか?」
 ―――分からない。でも。
「でも?」

 ―――もう、見たくなかったんだ。

「何を?」


 ―――辛そうな顔、を。


【 慟哭 -07-  透明な楔 /end. written by 紗月浬子 】