慟哭 -01- 忘却という名の刃
幻想水滸伝
夢を見た。
哀しくて、切ない夢。
気が付いた時には、涙が溢れ出し、頬を伝っていた。
が、内容が思い出せない。
誰かが僕を呼んでいて。
僕も誰かを呼んでいた。
凄く、大切な人だったはずなのに。
何故だろう。
顔も、思い出せない。
『……フォルテ』
誰?
君は……誰なんだ?
『……フォルテ』
哀しげな声だけが耳に残る。
「フォルテ」
扉の外から聞こえる声と、夢の中で聞こえてきた声とが重なり、僕を覚醒に導いた。
「入るぞ」
声に続いて、扉の向こうから姿を現したのは、体格のいい男性だった。その後に、全身青い服に身を包んだ男性が入ってくる。それともう一人。彼らの後ろから、心配そうに覗き込んでいる、髪の短い女性。
三人共、見たことのない人達だった。
それなのに。
「お、漸く目が覚めたか! 心配したぜ」
彼らは、当然、と言わんばかりの様子で話し掛けてきた。
戸惑いが隠せない。
「……誰?」
「ぼっちゃん……!」
「フォルテ………!?」
三人が顔色を変えて近寄ってくる。
「おい、冗談だろ? 俺達が誰だか分からないって?」
詰め寄ってくる青い衣服に身を包んだ男の肩を、体格の良い方が押さえて首を振り。僕の顔を見て、少し微笑んだ。
萎縮してるのが分かったんだろうか。人を安心させるような、温かさを感じる笑みを見せる。訳が分からず緊張していた肩から、ほんの少し、力が抜けた。
「俺達はな、おまえの仲間だ。なぁに、心配することはないぜ、取って食いやしねぇからよ」
―――仲間?
そう言われても、何の仲間なのかも見当が付かない。
多分、僕は眉間に皺でも寄せていたんだろう。
彼は、先程と同じ様に、もう一度微笑んだ。
「そうか、分からねぇよな。おまえはな、今疲れてるんだ。何も考えなくていい。考えなくていいから……ゆっくり休むんだ」
休めばいいと言われても、知らない人ばかりのこんな所で……?
と、そこまで考えた時。
じゃあ、何処なら、知っている人がいるのか、と思う。
改めて、自分に問いかける。
僕は、誰なんだろう。
そして、ここは、一体?
「ぼっちゃん…私の顔も、分かりませんか……?」
哀しげな女の人の目が、僕の心をざわつかせた。
『ぼっちゃん』……。
僕は、そう呼ばれていたのか。
名前はフォルテ。
彼らは、そう呼んでいたから、きっとそうなんだろう。
それに、夢の中で僕を呼んでいた声もそう言っていた。
そう。何となくそれだけは分かる。
僕の、名前。
……それしか、分からないけれど。
「えーと、俺の名前はビクトール。で、こっちが……」
「……フリック、だ」
「私の名前は……クレオ、です」
それぞれが、半分戸惑ったように名前を教えてくれる。
特に、クレオ、と名乗った女の人は涙を浮かべていた。
……僕はどうしたらいいか、分からなかった。
この人達は、きっと僕のことを知っているんだろう。
でも、僕には何一つ……この名前以外の事は分からない。
―――ああ、そうだ。もう一つ。
彼女が泣いているのは、その所為なんだと。
……それも、分かる。
「なあフォルテ。腹減ってねぇか? 何か持ってくるぜ」
突如、話題を変えるように聞かれた言葉に一瞬面食らうが、何かを食べたい、とは思わずに、首を振った。
「空いてないです」
「そうか…。でも何日も寝てたんだし、何か腹に入れた方がいいぜ。少しでも良いんだ、何か食べられそうなものはあるか?」
ビクトール、と名乗った彼の表情、そして口調から、本心から僕の身体の事を心配してくれているのが分かる。他の二人も同様。何も分からない僕と同じ様に、戸惑いを覚えているのは間違いない。それでも、こうやって気遣ってくれる彼らを、これ以上心配させたくない、と思った。
少しの間考えて、何故かふと、頭に浮かんだもの。
「シチューだったら、少しなら」
食べられそうです。
と、言ったその瞬間。
クレオさんが、目に見えてハッと顔色を変えた。
僕が見ているのに気が付くと、慌てて顔を背けてしまったけど。
「分かった、シチューだな。今作って貰ってくるから待ってろよ」
ビクトールさんも、僅かに苦い顔をしている。フリックさんも、微かに俯いたままだ。
僕がシチューと言ったことに、何か関係あるらしい。
勿論、僕にはその理由は、全く分からないのだけれど。
「僕が、食堂に…行きます」
そう言ってベッドから降りようとすると、ビクトールさんが慌てて止めに来た。
「まだ体の調子が悪いはずだ。いいからここに居ろ。な?」
その声に焦りを感じたのは、僕の気のせいなんだろうか。
しかし、確かに身体は思うように動かせないと気付く。仕方なく、言われるままベッドに逆戻りした。
「じゃあ、ちょっと行ってくるから、大人しく寝てろよ」
念を押すようにそう言うと、二人は共に部屋を出ていった。
「ぼっちゃん……」
後に残ったのはクレオさんだけ。
「今は、ゆっくり休んで下さい。休んで……」
そこまで言った後、失礼します、と、二人の後を追うように出ていってしまった。
涙は渇いていたように見えたが、哀しげな目が僕を責めているようにも感じられた。
それは、僕の被害妄想なのかもしれない。
でも、とても申し訳なくて……目を伏せることしか、出来なかった。
きっと、僕は思い出さなくちゃいけないんだ。
僕が、誰だったかを。
暫く、思い出せることはないだろうかと、色々考えてみたけれど、浮かんでくるのは、先程の三人の驚愕した顔ばかり。
何も、思い出せなかった。
やがて僕は、再び睡魔に引き込まれるのを自覚した。
フォルテの部屋から出て来たクレオが、そこから離れ、自分達の所に歩いてくるのをビクトールとフリックは苦い思いで見つめていた。
「ぼっちゃん……っ!」
岩の壁に鍛え上げられた拳を打ち付け、慟哭にも似た声を吐き出すのを、ただ、見ていることしか出来なかった。
自分達とは違い、幼い頃から姉にも似た気持ちでその成長を見守っていただろうクレオが、今どんな思いをしているかなどと、解りようも無いのだから。
「どうして、なんで、ぼっちゃんだけがこんな思いをしなくちゃいけないんだ……っ!」
掛ける言葉もなく、二人は立ちつくす。それを振り返ったクレオは、ビクトールの胸ぐらを掴んで詰め寄った。
「大体あんたが……!あんたが、ぼっちゃんをこんな事に巻き込まなければ、ぼっちゃんは何もかもを無くすような事にはならなかった! 父であるテオ様を手に掛け、誰よりも慕っていたグレミオを無くし、親友だったテッド君を失う事になったのも、全部、あんたが……っ!」
鬼気迫る表情のクレオに、されるがまま、何も言い返さないビクトール。
そんなビクトールに却って業を煮やしたのだろうか、クレオの拳がビクトールの頬を掠め、壁に突き刺さり――― 一筋の朱が走る。
見かねたフリックが、クレオの肩に触れた。
「クレオ。あんたの気持ちは分かる。だが、これはあいつ自身が選んだことだろう。ビクトールの所為にしたくなるのも解るが――」
そこまで言ったその瞬間、憎悪にも似た感情を浮かべた瞳に射抜かれたフリックは、その場で動きを止めた。
「解る!?何が解るって!?あんたに、あんた達に分かるって言うのかい!?私達が……テオ様が、グレミオが、パーンが!どれだけぼっちゃんを大切に思ってきたか。ぼっちゃんが成人されて、テオ様の後を継がれるのをどれだけ心待ちにしてきたか、それがあんた達に分かるって言うの!?」
沈黙が訪れた。お互いの視線がただ無表情に交わされ、やがて力を無くしてビクトールから手を離したクレオが、うなだれたように座り込んだ。
「分かってる……分かってるんだよ。これはただの八つ当たりだ………」
だけど。
言葉を切ったクレオの拳は、真っ白になるまで握り締められている。
「いいさ……。半分は、事実だしな」
ビクトールの声も力無く。
フリックは、そんな二人を見比べて、ただ黙り込んだ。
幼い少年の肩に、大きな重責を覆い被せたのは自分達大人だ。
強い輝きを持った瞳と、揺るがない強い意志。
カリスマ性を伴った、力のある声。
そして、不正を見て見ぬ振りの出来ない、少年らしい真っ直ぐな精神(こころ)。
全てが整っていた。
帝国に反感を持つ、数多くの者達を導く存在として。
勘違いしていた。
少年が余りにも毅然としていたから。
付き人を亡くした時呆然としていた彼は、翌日には普段と何ら変わらぬ顔で現れ。
その仇に相対した時には、大いなる慈悲の心をもって許し。
父をその手に掛けた時にも涙一つ見せず。
親友が崩れ落ちていく様を見ても取り乱す事無く。
大軍を預かる将として、これ以上ない、最善とも思える道を歩んできた少年。
それ故に。
本拠地に戻り、自室の前で気を失うように倒れた彼に、その場にいた誰もが反応出来なかったのだ。
次に目を覚ました時、彼は全てを忘れていた。
そう、何もかも。
『乱を起こし、戦いを行ない、人々の命を……それが、あなたの正義なの?』
きっかけになったのは、多分、この一言。
相対した女性を気丈に見返していた瞳が一瞬揺らいだのを、クレオは見逃さなかった。
すぐにその色を押し隠したが、見えない楔となって残っただろう事は想像に難くない。
敬愛する父と懇意にしていた女性に投げかけられた言葉。
それが、予想以上の痛みを伴い、少年の心に突き刺さったのだろう、と。
そして、恐らく。
それまでに至った全てが、疑問を伴い、重荷となって彼を押し潰したのだろう。
少年は、自らの心を意志の範囲外に放置することを選んだ。
そうして、彼は自分の心を守ったのだろう。
余りにも辛い選択を、強いられ続けてきたばかりに。
「私達は、なんて無力なんだ……」
クレオの自嘲とも取れる呟きに、二人もただ、唇を噛みしめ俯くだけだった。
少年は、戻ってくるのだろうか。―――自分達の所へ。
【 慟哭 -01- 忘却という名の刃 /end. written by 紗月浬子 】