君の居た風景 -たとえば君が-
幻想水滸伝


『たとえば僕が――』

 あの時の言葉が、今こんな風に目の前に突き付けられるなんて。
 僕は、思ってもみなかった。

 最初、噂を聞いた時は、「まさか」と思ったんだ。
 君の中にあった空虚な願いが、そこまで大きく育ってしまっていたなんて。

 何故もう一度、僕が訪れるのを待っていてくれなかったんだろうと。
 僕は何故、君のSOSを感じ取ることが出来なかったんだろうと。
 こんな事になるのなら、もう少しだけでも頻繁に訪れて。
 もっと親身に話を聞けば良かったと。

 全てが終わった場所に訪れた僕を襲ったのは。

 深い後悔。

 それと―――。


 + + +


 枯れ木や枯れ草の敷き詰められた獣道をただひたすら歩き続けていると、突然視界が開けた。薄暗い森に慣れてしまっていたからか、きらきらと光る水面の反射がとても目に眩しい。
「ここか……」
 ふう、と息を吐いて辺りを見渡す。
 透明度が高いのだろう。真っ青な空の色やぽっかりと浮かんだ白い雲、加えて周囲の木々。それら全てをそのままに映した湖面はまるで鏡のようだった。
 暫くの間辺りを眺めながら立ちつくしていた少年は、思い出したようにゆっくりと足を運び、柔らかそうな草の茂っている場所を見つけると、そこに腰を下ろした。
「何か、落ち着く……」
 森の奥深くにひっそりと浮かぶように存在している湖には、人気は全く感じられなかった。鳥の鳴き声と、木々の間を風が渡り、葉を揺らしていく葉擦れの音が耳に心地良い。
 目を閉じていると、自分も自然の一部になったような気すらしてくる。

 このまま、眠ってしまおうか。

 かなりの時間歩き続けたせいで疲労を訴える足や、連日の戦闘で疲れ切っていた身体が、ここに来て休息を要求しているのか、そんな考えが頭を過ぎる。

 それもいいかもしれない。

 少年はそう心の中で頷いて、組んだ腕を枕にし、身体を後ろに倒した。たっぷりと陽光を浴びた草が、ぽかぽかと温かい。
 穏やかな日差しが全身を包み込むのを感じながら、意識は急速に途切れていった。



「こんな所で寝ないで欲しいね、全く……」
 誰かの呆れたように呟く声で、少年の意識が覚醒に近いレベルまで引き上げられる。
「いつまで寝てるつもり?」
「……ん、もうちょっと……」
「もうちょっとじゃないよ、さっさと起きないと蹴飛ばすよ」
 返事をする間もなく伸ばしていた脚を軽く蹴飛ばされ、先程まで至極気持ち良い眠りの中にいた少年は、渋々目を開けた。
「何だよもう…。人が折角気持ち良く寝てるのに、邪魔しないで欲しいんだけど……」
 むくり、と身体を起こして自分を起こした件の人物を見遣る。
 偉そうにふんぞり返って見下ろしているのは、先の戦でも関わりのあった少年――口の悪さと態度の大きさでは、知り合い中探して回っても誰にも引けを取らないと思われる、魔法使いの少年ルックだった。
「全く、どうしてこんな所で寝てるわけ?」
 呆れたような声で尋ねられても、少年は大欠伸をしながら首を回し、腕を伸ばしながら、見るとはなしに湖の方を眺めているだけ。ルックの方も特に返事を急かそうという様子もなく、同じ様に湖の方に視線を向けた。
 それを知ってか知らずか、少年は何気なく中空を見上げる。まだまだ高い位置に陽があるとは言え、先程よりも少し西に傾いてきているようだった。経過したのはおよそ一刻という所だろうか。少年は、溜息混じりで再び欠伸をした。
「もう一刻は寝られると思ったのになぁ……」
 呑気な声に、ルックは微かではあるものの、額に青筋を作る。
「……一生寝かせてあげようか」
「うわー……ルック、その物騒な物言い、止めた方がいいよ」
 だから誤解されるんだよ、と少年はルックを見上げた。
 肩の辺りで切り揃えられた金の色の髪が、時々強く吹く風に煽られているのを、ぼうっとしながら見つめる。
「ルックの髪……」
「僕の髪がどうかした?」
 つっけんどんな声にも少年は臆する様子など全くなく、先程と同じ様に引き続き呆けた口調で呟いた。
「陽に透けるときらきらして綺麗だね……」
 湖と同じ。色は違うけど。
 と言いながらもう一度湖を見つめる瞳は、覚醒しきってないのだろう。常ならば強い光が浮かんでいる筈のそれは、ただ見ている物を映し出しているだけで、まだどこか眠そうだった。
「……何言ってんの?寝惚けんのも程々にしとけば?」
 はあ、と諦め混じりの溜息を付き、暫くはまともな会話が望めそうもないと判断したのか、少年の横にすとんと腰を下ろした。


 季節は春を迎え、新緑の緑がひどく鮮やかだ。
 ここ連日、各地を回って仲間集めや交易に精を出していた同盟軍リーダーが、
「ちょっと疲れたから、明日から三日間はみんなお休みにしよう」
 と提案したのが昨日のこと。現在、ハイランド王国との戦も一段落、と言うよりも膠着状態と言った方が正しいか――戦の真っ最中に幸いも何もないが、とりあえず暫くはそう慌てる状況にもならない、と判断しての骨休めと言ったところなのだろう。
 恐らく、あの城にいるメンバーも、それぞれ自由に休日を過ごしているに違いない。


 普段からありとあらゆる行動に引っ張り回されている少年は、昨日も、当然の如くその場に居合わせた。
 それじゃあ今日は彼が訪れてくることもないだろう、と考え。久々にのんびり釣りでもしようと、以前知り合いに聞いてあったこの場所に訪れたのだが、自然の気持ち良さに誘い込まれるように、釣りの予定は日向ぼっこと昼寝に変更を余儀なくされた。が、その至福の時間も、見慣れた顔に途中で邪魔をされてしまった、というわけだ。


「まだ目が覚めないの?」
 意識が段々はっきりして来るにつれ理不尽さを覚えて、少年はくるりと横を向いて、呆れたような声で話し掛けてきたルックを睨め付けた。
「覚めた。それより、何で僕は昼寝の邪魔をされなきゃいけなかったのか、教えて欲しいんだけど」
 今日は休みなんだろ?
 そう聞いた少年に、ルックは少し嫌そうに顔を顰め、ふん、と鼻を鳴らした。
「そんなもの、僕は貰ってないよ。その上、こうやって君を探す役目まで押しつけられてるんだから、良い迷惑だよ」
「……僕を探す役目?一体誰に?」
 こちらは不機嫌そうな顔から一転、不審そうな表情に塗り替えて、ルックに返事を促した。
「決まってるだろ。君に懐いてる子犬だよ」
 憮然とした声に、少年は思わず吹き出し、次いで声を上げて笑い出した。
「子犬って、ルック……ったく、口が悪いんだから」
 暫くの間大口を開けて笑っていた少年は、自分より少し年下の新しい天魁星を思って、幾度か咳払いしつつ、笑いを治めた。
「わざわざルックまで使って探しに来るなんて、何かあったの?」
 ルックの様子から見て大した事ではなさそうだとは思ったものの、一応確認のためにも聞いてみる。大方の予想は出来ていたけれど。
「別に何も。折角の休みだから、君に遊んで欲しかったんだろ。僕まで無理矢理連れて来るんだから最悪だよ」
 心底納得行かない、と言わんばかりの声に、少年は再び、横を向いてくすくすと笑みを零した。
「何だかんだ言って気に入ってるから付き合ってるくせに」
 じゃなかったら、無理矢理にだって動かないだろ、と得たり顔で言われたルックが、「煩いよ」と睨んでくるのにも全く頓着せず、少年は再び後ろに寝転がった。
「……遊んで、か……」
 空を見上げながら、苦笑しつつ溜息を付いた少年に、ルックは十八番の皮肉めいた表情で言った。
「何?面倒事に巻き込まれた事、後悔してるの?」
 少年は口元に小さい笑みを浮かべ、まさか、と答えた。
「僕が自分で決めたことだよ。ここまで迎えに来てくれれば手伝うよ、って言ったのは僕自身だ。この戦は…都市同盟だけの問題じゃない。トランにも類は及ぶかもしれない事だし……それに」
 他人事だとは、どうしても思えなくてね。
 と。
 ほんの少し影の差した表情を見せ、溜息を付いた。
 それを見たルックは何も言わず。暫くの間、二人の間に静かな沈黙が降りた。

「彼が、僕を友達として慕ってくれてるのは純粋に嬉しいよ。僕には、昔からあまり友達と呼べる存在がいなかったからね」
 その沈黙を破ったのは、過ぎし日の憧憬を滲ませた少年の声。
「テッドが、初めての友達だった」
 言いながら、ルックに顔を向ける。
「最初、僕達が会った時の事、覚えてる? テッドとルック、すごい険悪だった。あの時はどうしようかと思ったよ」
 くすくすとおかしそうに笑った少年に、憮然としたルックが、憮然とした表情のまま。
「……忘れたくても、忘れられないね」
 そう言って、思い切ったように少年の横に並び、草の上に寝転んだ。
 それを見た少年は、ほんの少し意外そうに。眉を上げ、しかし、すぐに笑顔になって、話を続けた。
「無邪気で元気が良くて……どこか、彼は――テッドを想い出させる」
 少年の横で、ルックが「そう」と小さく零す。普通に聞けば、何の感情も込められていないような声だった。しかし、少年はその中にある、確かな懐かしさを汲んで。また、笑顔を深くした。

『マクドールさん!おはようございます!』
 毎朝のように姉を伴って訪れる人物の訪問と向けられる笑顔は、血生臭い戦の中にあって尚、温かさを感じさせるものだったから。
『今日も迎えに来ちゃいました。一緒に出掛けて貰えますか?』
 期待に満ちた瞳は、失ってしまった親友と、重なるものを見つけることが出来て。どこか、幸せな気持ちにさせてくれたから。

「テッドの代わりにしようなんて事はね、全然思ってないよ。だけど、同じ気持ちにさせてくれる。温かい気持ちにね。僕にとって、彼は大切な友達」
「ふーん……そりゃ、良かったね」
 大して興味もなさそうな言い方は、やはりルックだ、と思わずにいられないほど、彼らしいもので。少年は、自然漏れてくる笑いを堪えきれず、続けた。
「ただ、休みだって言ってたのに、僕の家までわざわざ来るとは全く想像もしてなかったけど。あんな厳しい道抜けてまで……元気だなあ。若いね」
 僕なんか疲れて昼寝してたのに。
 少し離れた場所に置いてある、本来の目的であった釣りの道具一式をちらりと見遣りつつの感心したような声に、ルックは呆れたように言った。
「そういう、年寄り臭い言い方やめたら? それに、引きずるようにして僕まで連れて来るんだからね、全く……見掛けに寄らずしっかりしてるよ」
 おまけに、人捜しまでさせるし。人使いの荒さは君といい勝負だね。
 そんな嫌味混じりの憎まれ口を叩くルックが、おかしくて仕方ないというように。
「ルック、その言い方も十分年寄り臭いってば」
 笑った少年が、ふと気付いたように首を傾げ。上半身を起こしてルックの顔を見下ろした。
「そういえば、グレミオにも場所までは言ってなかったのに、この場所、良く分かったね」
 ああそれ、と、ルックは高い空を見上げ、ぽつりと言った。
「……風」
 一言、簡潔な言葉に。
 少年は、僅かではあるものの、今日初めての苦い表情を見せて。ふい、と顔を逸らした。
「……なるほど。ここ、良く通るもんなぁ……」
 忘れてたよ。
 と呟きながら、かりかり、と頬をかいて。
 俯き。
「……多分彼は分かってないんだろうけど。ルックはいつも神出鬼没だから、僕の居場所も分かるとでも思ったのかな」
「……さあね。何も考えてないんじゃないの」
 特に感慨もなさそうに。ルックも身体を起こしながらそう言い。その後、顔を背けている少年をひたと見据えた。
「気にするような事じゃないよ。別に…多少この力を使ったからと言ってどうという事もない。それとも何?自分が紋章使う度に感じてる事を僕にも重ねて同情してくれてるわけ?」
 皮肉めいたルックの言葉に、少年は盛大に溜息を付き。大きく首を振った。
「違う。そんなんじゃない。ごめん、僕が悪かった」
 過剰反応し過ぎだね、と自らの右手を苦笑しながら見遣って。
「こんな風に思うのは甘えなんだろうけど……ついね、なんか弱気になったりする。ごめん。僕の友達で、同じ立場にいるのは…今の所ルックだけだからなぁ」
 まあ、これ以上増えて欲しくないけどね。
 困ったように笑いながらルックに視線を向けると、ルックはひどく堅い、とても驚いたような表情で少年を見返していた。
「ルック……?」
 戸惑ったような声で名を呼ぶと、はた、と気付いたようにルックが瞬きをする。が、その表情の堅さは変わらず。
「……今、なんて?」
「え?」
 少年は、何を問い返されているのか分からずに、首を傾げた。
「なんて、って、何が?」
 その答えに焦れたように、ルックは声を荒げた。
「今。友達、って言った?」
「え、うん。言った、けど」
 それがどうかした?と不思議そうな顔をする少年に、ルックは苛立たしげに眉根を寄せる。
「一体いつから、僕らが友達になったって言うんだよ」
「……いつからって…」
 答えを急かすように睨み付けられて、少年は、ああ、と答えを得たように微笑んだ。
「なんだ。ルックはそう思ってなかったのか。まあいいけど。僕はルックの事友達だと思ってるし。一緒にいて気を遣わないで良いし、楽だしね。友達ってそういう関係だろう?」
 あっけらかんと伝えた少年に、ルックは瞠目した。
「まあいいけど…って……」
「ああ、うん。独りよがりってのも、まあ寂しいと言えば寂しいけど。いいんじゃないかな、細かいことには拘らなくても」
「……あのね、僕は」
「ルック」
 尚も言い募ろうとしていたルックに、少年は笑みを消して身体ごと向き直った。
「僕に友達がいなかったように、ルックにも心を許せる友人がいなかったかもしれない。ずっと、魔術師の塔でレックナートと二人きりじゃ、それも当然かもしれない。だけど、そう。三年前と同じ様に、今僕らはこうやって話して一緒に過ごして、少なくとも僕はルックといる事を楽しいと思ってる。その僕がルックを友達だって言ってるんだ。それでいいじゃないか」
 それにね、と少年は続ける。未だ、驚きのまま自分を凝視しているルックに向かって。
「彼だって、君の事を友達だと思ってるから、僕の所に来る時、一緒に誘ったんだと思う。僕と一緒に過ごしたいって思ってくれてるように、ルックとも、一緒に過ごしたいって思ってるんだ」
 何も難しく考える必要はない。
 そうきっぱりと断じられ、ルックが、気圧されたように黙り込んだ。
 先程と同じく、沈黙が流れ。少年はその中で、ただ穏やかに。秀麗な額に皺を刻み、何故か、とても苦しそうな表情を面に張り付けているルックを見つめていた。

「……じゃあ、聞くけど」
「ん?」
 少年の穏やかな瞳から、ルックはふい、と顔を逸らして。
「たとえば――。そう、たとえば、僕が……」
 そこまで言いかけた言葉を飲み込むようにして黙り込んだ。


 この世に生を受けた時から、ずっと己の内で鳴り響いている警鐘。鳴りやまない警鐘。
 確実に訪れるのだと、いつかはこうなるのだと。はっきりと見える、一つのビジョン。
 ――生一つない、空虚な世界――
 穏やかである筈の、今も。ふとした拍子に頭が痛くなる。
 右手がひどく熱い。
 木々のざわめきも、色彩に溢れている筈の風景も。
 聞こえない。見えない。感じ取ることが出来ない。


 そんなルックに、少年はただ、静かな視線を向けた。彼の中の葛藤が見えているかのように。
 やがて、ルックは普段より数倍きつく感じる、棘すら含んだ視線で少年を見据えた。
「たとえば。僕が大勢の人間を殺し、この世界を壊すような事になったとしても、君はそうやって…」
 ルックは、再び少年から目を逸らして。目の前の湖を睨み据えながら言った。
「僕を友達だって……言い切れるとでも?」
 静かな声だった。
 どこか絶望すら含んでいるそれは、周りの光溢れる穏やかな景色にひどくそぐわない。故に空気に溶けることなく、まるで質量があるもののように、二人の間に落ちた。
 少年は、その言葉の重さを吟味するように。暫くの間ルックの固い横顔を見つめ、二人の間に落ちた言葉を探すように俯いて草を見つめ。その草を、右手でそっと掴んだ。
 ルックは、すぐ隣にいる少年の行動の意味を図りかね、草を掴んでいる右手に注視した。少年の右手は、草の上から、何かを掴み取る仕草で拳を握り。その手を左手で包み込む。まるでそれは、大切な何かを拾い上げたかのように見えた。その一連の行動は、ルックの胸に何か言いようのない感情をもたらした。じっと、不思議な行動を取る少年を見守る。

 と、少年が不意に顔を上げた。それにつられてルックも顔を上げたせいで、ほぼ同じ高さにある二人の目線が合う。少年は、柔らかく微笑んで。
「勿論」
 そう、頷いた。
「勿論、って…僕の言った意味、分かってんの? そんな簡単に」
 あまりにもあっさりと頷かれたのが気に食わなかったのか、それとも驚いたのか。ルックは、白い顔に僅かではあるが珍しく朱を昇らせ、反論しようと口を開いた。が、それは少年が続けた言葉によって遮られる。
「当然、分かってるよ。僕は、もし。ルックが大勢の人を巻き込んだ戦を仕掛けるような事があったとしたら……まあ、怒るだろうね。絶対」
「言ってること、矛盾してるんじゃない?」
 ルックが皮肉げに頬を歪めるのを見て、少年は小さく吹き出した。未だ、握り締めていた右手を開き、何もない手のひらを見つめていたかと思うと、幾度か開いたり握ったりを繰り返す。
「さっきから一体何してるわけ?」
「うーん……何て言うか…言葉の重さの確認、かな」
 重いよ、それが本当だったらね。
 そう続けて、固い表情で見返してくるルックに、先程と同じ様に微笑を返す。更に不機嫌そうな表情を作るルックの頭を、少年は後ろから、ぽん、と軽くはたいた。
「怒るよ。怒るし、哀しい。だけど、嫌いになんかなれない。僕は、ルックのことを友達だと思ってるからね。ずっと。今までも、これからも」
 穏やかなだけではない。
 優しいだけではない。
 強く、確かな意志を秘めた瞳で力強く頷いた少年から、ルックは咄嗟に顔を逸らした。その耳が、微かに紅くなっているのを、少年は見逃さなかった。


 目に映る景色。
 森の緑と湖の青。空の青と雲の白。
 それらが確かな色彩を持って彩りを帯びた気がするのは、何故なのか。
 言葉に出来ない程の、鮮烈な衝撃が襲う。

 ビジョンは消えない。
 これから先も、消えることはないだろう。
 自分がこの地に存在している以上、それは変わらない。
 それでも。
 今この時の、この時間を言葉にするならば、それはきっと―――。


 しかし、ルックの口から出てくるのは、いつもと変わらない言葉達。
「……馬鹿じゃない?そんな恥ずかしいこと、良く言えるよ」
 そんな憎まれ口が、どれだけ効力を持たないものなのか、きっとルック自身は分かっていなかったに違いない。だから。
「そうかな」
 そう言ってクスクスと笑う少年を、忌々しげに睨み付けた。
「何がおかしいんだよ全く。君と話してると調子が狂う。だから嫌なんだ」
 ふん、と立ち上がって素早く踵を返したルックを、少年の声が追いかける。
「ちょっと待てって、ルック。僕も帰るから」
「いいよ、ここでずっと昼寝してなよ。もうアイツは帰ってこない、って伝えておくから心配いらないよ」
 ずんずんと先に立って歩くルックの後から、軽快な足取りで付いていく少年は、もう一度背に向かって話し掛けた。 
「友達だって――ルックも思ってくれてると嬉しいんだけどね」
 その時、少年は確かに。風に乗った微かな声を聞いた気がした。

 だから、そういう恥ずかしいことを言わせないでくれる?

 と。

 少年は深い笑みを頬に刻み、枯れ木や枯れ草の敷き詰められた獣道を、歩いていった。友人と、二人で。


 + + +


 たとえば、君が。
 どんな事を思っていても、どんな事を秘めていても。
 あの時間は嘘じゃなかった。
 僕達は確かに、大切な時間を過ごした。楽しかったんだ。

 今でも、その気持ちには変わりない。

 君と話したこと、君といた時間。
 僕は、今でも君を友達だと思ってるよ。

 たとえば、そう。
 こうして、目の前に君が選んだ事の結果が、広がっていても。
 君が、どんな罪を犯しても。

 君は僕にとって、大切な友達だよ。
 ずっと、これからも。


 僕は忘れない。
 君が、君の人生を、精一杯足掻いたこと。
 一生忘れない。

 だから、今はゆっくりお休み、ルック―――。


【 君の居た風景 -たとえば君が- /end. written by 紗月浬子 】