雪のおくりもの
幻想水滸伝

 その日は、モンスターの落とすアイテムやポッチの収拾が主な目的で。夕刻本拠地に戻った同盟軍のリーダーである少年は、戦利品の山程詰まった袋を満足げに眺めた。
「やっと目的額まで達したね」
「これで無事、年も越せるね!」
 姉のナナミもホッとしたように笑った。

 ここ最近、各地から新たな仲間が多数加わった。心強いのは確かだが、それぞれ力を存分に発揮して貰うには、各人の武器を鍛えたり防具を揃えたりする必要がある。そう考え、あまり深いことを考えずに城の資金庫から持ち出した金で強力な防具を片っ端から買い揃え、それを配り歩いた。時には数人の仲間を連れ鍛冶屋に赴き、限界ギリギリまで武器を鍛えて貰った。
 そんな事を繰り返していれば、手持ちの資金がアッと言う間に尽きていくのは自明の理。

『……このままでは我が軍の金庫はじき空になります』
 青筋を立てたシュウにお説教を食らったのがつい先頃。
 その日から、リーダーである少年は、仲間を各地に派遣し、モンスター退治を命じただけではなく、自らも毎日毎日野山をかけずり回っていたのだ。

 今年も、今日を含め二日を残すのみとなった今、シュウから言い渡されていた当面の資金として十分な額を、漸く集めるに至ったというわけだ。

「それに」
「うん!」
「「これで、パーティも出来るね!」」
 二人が手を取り合って喜んでいる様子を、本日の戦闘を共にしたビクトールとフリックが顔を見合わせて首を傾げた。
「なんだそのパーティってのは?」
 聞いたビクトールに、くるりと振り向いたナナミが嬉しそうに答えた。
「パーティはパーティだよ!折角のお正月じゃない!美味しい物たくさん食べて、みんなで宴会して、楽しく過ごさなきゃ!」
「昔じいちゃんが生きてた時も毎年必ずやってたんだよねー」
「ねー!」
 そう言って再び姉弟が、料理はどうしようか、何作って貰おうか、などとはしゃいでいるのを見て、呆れたように溜息を付くルック。
「……僕は御免被るよ。もう持ち場に戻るけど、いい?」
「あ、そんな事言わないでよー!いいじゃない、ルック君も一緒に楽しもうよ!さあ、ハイ・ヨーさんの所にレッツラゴー!」
 ナナミがルックの腕を取り、有無を言わせず歩き出す。
「あ、ナナミ!」
 弟の呼び声に、なあに?と振り向いたナナミは。
「僕は後で行くから。先に行ってて」
「分かった!早く来てね!」
 と力強く頷いた。それに慌てたのは、ルックだ。振り解こうにも、ナナミの力は意外に強い。リーダーの顔をきつく睨み付けて口を開く。
「ちょっと、どうして僕も行かなきゃいけないのさ!」
「あ、ルックも宜しくね。嫌いな物ばっかり食べさせられたくなかったら、ナナミと一緒に行って、きちんと主張しておいた方がいいよ」
 にこにこと笑って手を振るリーダーを再度睨み付けて。諦めたように大きく息を吐いた。
「分かったよ、行けば良いんだろ。分かったからナナミ、手、離してくれないかな」
「離したらどっか行っちゃうかもしれないからダメー。それじゃ、行ってきまーす!」
 そう言って、ナナミはご機嫌のままルックを引きずっていった。

 その様子を腹を抱えて笑いながら見送っていた腐れ縁二人が、その場で何とも言えない表情をしていた少年の肩を叩く。
「いつものことだから気にすることねぇって」
「ナナミのパワーには誰も勝てないよな」
「……そうだね」
 苦笑しつつ、二人を見上げる少年が、改めて棍を持ち直すのを見て。
「なんだ、もう帰るのか?」
 フリックが眉根を寄せた。
「もう少しゆっくりしてきゃ……」
 ビクトールも同じ様に少年を引き留める。が、少年は静かに微笑みながら首を振った。それを見て、二人はそうか、と諦めたように肩を竦める。
「じゃあ、また今度な」
「気を付けて帰れよ」
 うん、と頷いた少年に、年若いリーダーが残念そうな顔で言った。
「たまには泊まって行ってくれませんか? ハイ・ヨーの作る料理、すごく美味しいし、僕も話したいこと、沢山あるし……」
「お誘いは嬉しいけど……家で家族が待ってるから」
 ごめんね、と微笑った少年に、彼は分かりました、と少ししゅんとしながら頷いた。
「それじゃ」
 とバナーまでのテレポートを頼みにビッキーに話し掛ける寸前。
「あの、マクドールさん!」
 彼が、少年を呼んだ。
「何?」
 振り返った少年を見つめる彼の瞳は真剣そのもの。
「お正月。みんなでパーティしたいんです。僕の大好きな人をみんな呼んで、やりたいんです。だから、マクドールさんも、グレミオさんも、あと、クレオさんやパーンさんや……グレッグミンスターに住んでる人達も、一緒に遊びに来て下さい。我が侭なのは分かってるけど、大勢の方が絶対に楽しいと思うし」
 手にした武器をぎゅっと握って訴える彼と、それを受けて思案深げに俯く少年。

 三年前の戦争に参加した者が数多く参戦している今回の戦。
 三年前に天魁星としてリーダーの位置にいた少年は、未だにかつてのリーダー、一つの戦を終結に導いた英雄として、多くの者に慕われている。その彼自身が新たな軍に深く関わることは、現リーダーにとっても新たな軍にとっても良くない。頭となる人物は一人で十分だ。だからこそ。少年はこの地に留まることもなく、深く他の人物と関わることもなかった。右手に宿した紋章が周りに与える影響を恐れるのと同じくらいに、その事は少年を律した。
 更に、昔の戦に関わった者を、しかも側近とも言える家族達を呼ぶ事は、この軍にとって有益な事だとは思えない。否、彼らが少年を唯一の主君として捉えている以上、そのような姿をここに集まった多くの兵に見せる事は、はっきり有害と言っても過言ではない。

 彼が、何故そこまで自分を呼びたいのかは分かっていた。
 先程ナナミと話していたように、きっと、彼らは温かな雰囲気の中でイベントを過ごしたのだろう。彼と、彼の姉と、祖父と。それから、親友と。
 側にいられない親友。幾ら名を呼んでも、答えの返らない親友。
 だからせめて。

 自分を慕ってくれる彼の気持ちはとても嬉しかったけれど―――。

 少年は、分かった、と頷くことが出来ずに。かと言って、彼を傷付けずに断る上手い方法も思い当たらずに。曖昧な笑みを浮かべることしか出来なかった。
 その二人を見比べていたビクトールが、不意に声を掛けた。
「グレミオ達に伝えておいてくれ。たまにはのんびり酒でも飲もうぜ、ってな」
 フリックも、それを継いで。
「クレオやパーンには以前飲み比べで負けた事があるんだ。出来れば雪辱戦を受けて欲しいしな」
 彼は、自分の味方をしてくれた二人の言葉に嬉しそうな表情を見せ、困ったような少年を改めて見つめて。
「あの……」
 どうしても、ダメですか?と細い声で聞いた。
 そんな三人からの誘いを無下に断るわけにもいかず。少年は苦笑混じりで手を上げた。
「……分かった、考えておくよ」



 バナーの村を越えた森の中を一人歩く少年の頬に、冷たいものが落ちてきた。
(雨?)
 はた、と立ち止まり上を向くと、そこには。
「珍しい……雪か」
 白く舞い落ちる小さな氷の結晶。
 降り始めの雪は、白い花弁のように上空でゆっくりと舞っていた。


 家に戻り、夕飯を終えた少年は、自室に上がり、窓際に椅子を置いて暗くなった街並みを眺めていた。
 雪は止む様子はなく、更に強くなってきているようにも見えた。ここグレッグミンスターの周辺でこんな風に雪が降るのは珍しい。三年の旅の間には確かに雪深い土地も訪れたことがあったが――。

 確かハイランドも冬には雪に覆われる土地だった。
 あの姉弟も、おそらくずっとそういう冬を過ごしてきているのだろう。
『昔じいちゃんが生きてた時も毎年必ずやってたんだよねー』
 懐かしそうな声が脳裏に蘇り、更に深い記憶の蓋が開く。

 父は忙しい人で家にいない事も多かったが、テッドが家に来てから、一度だけ、全員で正月を過ごした事があった。
 普段飲ませて貰えない酒を、今日は特別だ、と言う父に注いで貰った。
 どこかの国の風習だという『お年玉』というものをクレオとパーンに貰った。
 とても珍しい料理を、グレミオが作ってくれた。
 テッドと二人、同じベッドに入って。飽きることなく、遅くまで話した。

 そんな家族の団欒が、心の中まで温かくしてくれた事を覚えている。

 ――そうだ、あの日も確か雪が降って――

 そんな事を想い出していた少年は、いつしか何かに誘われるように、眠りに引き込まれていった。



「――ん、ぼっちゃん」
 少年はパチリと目を開け、自分を覗き込んでいる顔を見つめ返した。
「……グレミオ?」
 寝惚け半分で焦点の定まらない瞳を見て、付き人である青年は、両手を腰に当て、半分怒ったような顔を作る。
「そうですよ、グレミオです。他の誰に見えますか?」
「いや、見えないけど……」
 ふるふる、と小さく頭を振って目を覚まそうとした少年に、グレミオは温かい湯気の立つカップを差し出した。
「ダメですよぼっちゃん、こんな所でうたた寝しては風邪を引いてしまいます」
 青年の心配そうな声に、少年はそうだね、と苦笑しながら身体を起こし、ミルクの甘い香りに目を細めた。息を吹きかけ、心持ち冷ましてから一口飲み下す。熱い液体が喉を通り、胃に落ちていくのが分かる。そのまま同じ動作を数回繰り返すと、体の中からじんわりと温かくなっていくのが分かった。
 いつの間にか手にしていた毛布を、身体全体を包むようにして肩から掛けるグレミオに、少年は小さく礼を言い。窓の外を見遣る。
「……夢を、見てた」
 と、遠くを見るような目をして呟いた少年に、グレミオは微笑み促した。
「どんな夢ですか?」
「うん。すごく…いい夢だった。父さんや……テッド、それからグレミオやクレオ、パーンも…みんないて。きっと、母さんも…いたような気がする」

 懐かしい家族の肖像。
 それを夢に見るのは初めてではない。が、それはもう、どんなに望んでも手に入れられない儚さを映す心の鏡。目が覚めた際に残るのは、声に出すこと叶わぬ哀しみだけという事もある。

 だが今心に残るのは、とても温かい何か。
 涙腺を押し上げる衝動に身を任せたくなるほどの――。

「……グレミオ」
「はい。なんでしょう、ぼっちゃん」
「明日――グレミオも一緒に行ってみる?」
「えっと…デュナンに、ですか?」
「うん。お前にとっても懐かしい顔が揃ってるよ。きっと楽しく過ごせると思う。本当は、僕達が深く関わるのは避けた方がいいのは分かってるけど――折角のお誘いだしね。クレオとパーンも誘って…みんなで行こう。たまには賑やかに過ごすのも、悪くないだろう?」

 そんな風に過ごすのは、あの日から――もう二度とないのだと、思っていたけれど。
 きっと、父や親友が言いたかったのは―――。

 少年の穏やかな表情を見て、グレミオはどこか嬉しそうだった。
「……ええ、そうですね。分かりました。じゃあクレオさん達には私から伝えておきます。何か美味しい物を作っていきましょう」
「うん。楽しみにしてるよ」



 翌日。
 窓から見渡す街の風景は、今までにないほどの雪化粧を施され、まだ少し降り続けている雪も相まって、いつもとは全く違う街に見える。
「すごい綺麗だなあ……」
 目を細めてその景色に見入っていた少年は、ふと、下の通りに視線を移し。驚きに目を見開いた。
「あの、おはようございまーす……」
 家の玄関を遠慮がちに叩くのは。
 慌てて部屋のドアを開け、階段を降りると、一足先に玄関に向かっていたらしいグレミオが、笑顔で声を掛けてくる。
「ああぼっちゃん、お客様ですよ」
 頭にも肩にも、身に付けた服やいつもの武器にも降り積もっている白い雪。寒さからか、鼻や頬を赤くして玄関先に立っているのは、昨日の夕方別れたばかりの彼だった。
「……マクドールさん、おはようございます。あの、もし良かったら、なんですけど……」
 口ごもる彼の周りには、他に誰一人見当たらない。まだ開けたままの玄関の向こうにも、見知った気配はなかった。
「まさか…一人で来たの?」
「えっと……今日はみんな準備で忙しくて。ナナミも台所、手伝うって言ってたし、ビクトールさんとかは酒を仕入れに行くって、出掛けちゃったし」
 勝手にこんな風に迎えに来て、迷惑かもしれないって、本当は思ったんですけど。
 申し訳なさそうに俯く彼に、少年は首を振って。
「そんなことないよ。それより、こんな雪の日にそんな濡れたままの恰好でいたら、風邪を引く」
 言いながら、グレミオに差し出されたタオルを少年の頭に被せ、わしわしと拭いていく。
「夕方くらいにはみんなでお邪魔しようと思ってたんだ。だけどとりあえず、君はここで暖まっていかないとね」
 大人しくされるがままになっている彼に笑い掛けると、見る見る内に、冷えて赤くなった顔が満面の笑顔を作った。
「はい!」
 頷いた彼の背を、中に向かってそっと押し。玄関のドアを閉めようとした時。
 舞い落ちる雪の中に、笑顔で手を振る親友の姿を見たような気がして…少年はふと、微笑んだ。


【 雪のおくりもの /end. written by 紗月浬子 】