慟哭 -09- 憧憬の足跡
幻想水滸伝
全てを捨てたい
全てから解き放たれたい
願うことは きっと罪
開かれたドアの向こうに立つ顔を見て、ビクトールが眉を上げた。
「また……珍しいメンバーを連れてきたもんだな」
クレオがドアを抑えている間に、ソニア、アレン、グレンシールの順で部屋に足を踏み入れる。アレンとグレンシールの二人は殆ど表情が変わっていないものの、ソニアの顔が、僅か青ざめている様に見えた。
クレオがドアを閉める音と被り、吐息にも似た小さな声がソニアの口から漏れた。
「―――フォルテ」
ともすれば聞き逃してしまいそうな小さな声に某かの感情を感じ取ったのか、側にいたビクトール、フリック、パーンの三人はその場を離れ、部屋の隅へと移動した。
少年の顔色は、前日より更に白さを増していた。
ルックの残した言葉が、真実だと――証明しているかのように。
ドアを閉めたクレオはそのままドアに背を預けた。
足音を立てずに少年の側へと近付くソニアの背を見つめる瞳には、どこか縋るような光が浮かんでいる。
もし、これが駄目だったら。
これでも駄目だとしたら。
―――ぼっちゃんは、どうなってしまうのだろう―――
そう、クレオが思った時。
ソニアが手を伸ばし、胸の上に置かれた少年の手に触れた。ほんの、僅かの間。
何も言わず、息さえも詰めて。ソニアはそこに浮かぶ、黒い紋章を見ていた。
金の髪が微かに揺れる。
「私は、悪かったとは思っていない」
「ソニア様!」
非難に近いクレオの声。
「悪かったと思うくらいなら、最初から口になどするものか」
対するソニアの声はひどく硬質なものだった。そしてそれ以上に強張った背中を見て、クレオはそれ以上、声を掛けることが出来なかった。
ソニアが、微かに頬を歪め眉を顰めて。
「だが、それはお前を追いつめる為ではない……フォルテ」
少年の白い頬に手を伸ばす。
「聞きたかったのだ。お前の正義とはなんなのか。そこまでして、一体何を求めるのか」
―――何を求める?
分かり切った事だ。
それは、腐敗しきったこの国を、解放に導くことに他ならない。
しかし。
彼は、本当にそれを望んでいたのか?
それだけを望んで、今。
現在に至るというのか?
―――彼が、本当に求めていた物は?
「憎くないと言ったら嘘になる。帝国を追いつめ、テオ様を手に掛けたお前を笑って見過ごすことなど、私には出来ない」
だが。
「お前には背負う物があるのだろう?目を逸らす事が出来ず、無くしたくない物があるからこそ。お前は、父をその手に掛ける事すら、自ら選んだのではないのか?」
自らの意識を縛っている少年に、色のない声で話しかける。
異様な程に静まり返った部屋の中で、ソニアの声だけが響いた。
「―――それを、ここで捨てるのか?」
少年は何の反応も示さない。
ただ、静かな寝息を繰り返すだけ。
「お前が父を手に掛けてまで選んだ道は、そう簡単に捨て去れる物だったのか!?」
突如強い響きを帯びるその声に、全員が表情を変えた。ソニアの手は、きつく少年の右手を握りしめていた。
(テオ様は喜んで居られました……ご子息が御自分を越えられた事を、心から……)
テオが喜んでいたという息子の成長。
それを認めることなど出来ずとも、恐らく、そうであっただろうとは思う。
あの男性(ひと)なら。きっと、そう思ったに違いない。
が、その息子であるフォルテにとって、それは喜べるものだったのだろうか。
自らの背負った運命を、どうあっても一つにはならない父子の道を、厭いはしなかったのだろうか。
幼い頃の少年が浮かべていた笑顔を、ふと思い出す。
『僕、父さんのように強くなりたいんだ!』
そう遠くない過ぎ去った日に、テオの足に絡まるようにはしゃいでいた少年。
その時の誇らしいようなテオの笑顔と、少年の無邪気な笑顔は、今でも――鮮やかに、思い出せるのに。
――――運命とは、かくも過酷に降り注ぐ。
「お前は、背負って行かなくてはならないんだ。テオ様の命を。お前の元に集った多くの者達の命を。それがどんなに過酷な運命の下(もと)にあったとしても、そこから逃げることは許さない」
クレオはその声を、まるで――悲鳴のようだと、思った。
「一人の戦士として、テオ様が認めたお前が!テオ様を倒したお前がっ!こんな所で自らの命を閉じようなどと―――私は、絶対に、許さない!」
言葉は違えども……それは、願い。
「お前の死に様は、私が見届けてやる。こんな形じゃなく、お前が成すべき事を成し、全力を尽くした上での死に様を!ふざけるな、こんな所で楽な死に方をしようなどと―――フォルテ!貴様はマクドールの名を貶める気か!」
「ソニア様!お気持ちは分かりますが……!」
きつい言葉を投げ続けるソニアに、クレオが我慢出来ずに割って入った。
たとえ少年の耳に届いていないにしても、追いつめられた少年の心に、これ以上の重責を覆い被せたくは無かった。
―――その言葉の奥にある彼女の願いが、自分達と同じだとしても。
しかし、そのクレオをソニアは怒鳴りつけた。
「煩いっ!お前らはこぞって甘やかして来たのだろう!まだ子供だから?長年仕えてきた主君の息子だから?そうやって、壊れやすい物を扱うように、痛々しい物でも見るかのようにして、今まで接してきたのだろう!?見てみろ、その結果がこれだ!」
近付きかけていたクレオ、そして、パーンの二人に向けられた瞳は、怒り、と称するのが相応しい炎をたえぎらせていた。
それを困惑の思いで受けとめたクレオの声が、そのままの響きを宿して落ちた。
「―――ソニア様……?」
「お前達には分からないのか?人の優しさは諸刃の剣となる。優しい言葉を掛けるのは、全てが終わってからで十分だろうが。人の先頭に立つ者に下手な気遣いをすれば、その分追いつめられていく。この私とて一軍の将。それが重荷になる事は、お前達よりきっと分かっている。――無論、それが甘さだという事も重々承知しているがな」
こくり、と、クレオが喉を鳴らす。
「―――クレオ、パーン。特にお前達二人の過ぎた気遣いは、こいつの逃げ道を塞ぐ事にもなるだろう」
ソニアが、どこか苦しげに。そして、寂しげにすら聞こえる声で言った。
『―――フォルテ殿も……そんなあなたを見ているのが、辛かったのかもしれないですね―――』
不意に、クレオの脳裏に蘇るマッシュの声。
あの時、聞こえなかった言葉。
―――否。
聞きたくなかった言葉、かもしれない。
「ぼっちゃん……私が、原因ですか……?」
クレオの瞳から、止め処なく涙が溢れ出す。
辛い思いをして欲しくなかった。
ずっと長い間、弟のように思い、可愛がってきた彼が、否応なく過酷な運命に巻き込まれていくのを見届けていくことが、ひどく辛かった。
彼の小さい背中に、全てがのし掛かっているのを認識する度、溢れそうになる想い。
(どうして、ぼっちゃんが―――!)
「私が、ぼっちゃんを追いつめていたのですか……?」
ビクトールとフリックの二人は、苦い思いで、その声を聞いた。
『大丈夫ですか?ぼっちゃん』
『大丈夫か?』
『無理はするなよ』
そんなありふれた気遣いの言葉の数々。
だが、言葉にどんな響きを伴っていたかなど、彼らにも分からない。
それを、少年がどんな思いで受けとめていたのかも。
『大丈夫じゃない』『辛い』
そんな事は、一言だって口にしなかった。
無論少年だけの事ではないが、全くの無理をせずに戦の中を駆け抜ける事など、出来よう筈もない。
それなのに、その度に。大丈夫だと。そう言って。
―――全ての言葉を、想いを背負い。
無理に笑顔を作っていたのだと。
―――おまえは、馬鹿だ。フォルテ。
誰が、お前一人にやれと言った?
これだけ周りに人がいるのに。
これだけ大人が側にいるのに。
大丈夫かと聞いたのは、無理をさせるためではなく。
頼ってくれ、と。
一人で抱え込むな、と。
そういう意味だったのだ。
お前が一人で、全てを抱え込む事を。一体、誰が望んだ――?
出来るわけがないだろう。
これだけ大きくなった組織の、全ての命。そして想いを。
本当にお前は、一人でその身に背負う事が、出来るとでも思っていたのか?
言葉を。想いを。
重荷として受け取れと、誰が――!
「馬鹿野郎……っ!」
壁に伝った衝動に、クレオが濡れた顔を上げた。
「ビクトール……」
大股で近付いたビクトールは、少年の頬をはたいた。大きく乾いた音が響く。
それに驚く面々を全く気にせずに、彼は言い放った。
「起きやがれ、フォルテ!お前は何にも分かっちゃいねえ、今すぐに起きて、俺達の声を聞け!」
彼の瞳が僅かに揺れる。普段だったら似合わない、と誰もが苦笑するだろう彼の涙は、しかし頬を伝わず、見開いた双眸に飲み込まれた。
息を飲んでその様子を見守る周囲から、ぽつり、と。声が聞こえた。
「クレオ。あんたなら分かるか? フォルテの、欲しい言葉が」
青いマントを風に揺らし、窓の前に立つフリックが静かにクレオを見つめていた。
「……ぼっちゃん」
クレオが、小さく何かを呟く。
それは、誰の耳にも聞こえない小さな声。
少年の頬に、一粒の涙が落ちる。
クレオがもう一度。唇を動かした。
「ぼっちゃん―――」
【 慟哭 -09- 憧憬の足跡 /end. written by 紗月浬子 】