慟哭 -06-  夢の辿り着く先
幻想水滸伝


 少年が眠りに付いてから、早くも数時間が経過していた。
 未だに目は覚まさず、こちらの呼び声にも全く反応は示さない。
 時々、静かな部屋に苦しそうな呻き声が響く。その度にクレオは辛そうな顔をして、少年の手を握りしめていた。
「一体、ぼっちゃんはどんな夢を見ているんだろうね……」
 向かいに座ったパーンは返事をしなかった。クレオの呟きが、返事を求めてのものじゃないと分かっていたから。
 ただ、眠る少年の顔だけを見つめていた。
 ビクトールとフリックは今、席を外している。
 先程「外の風に当たってくる」と出て行ったきり、戻って来てはいない。
「クレオ」
「……なんだい?」
「俺達は、ぼっちゃんの事を何も理解してなかったのか?」
 クレオがパーンの顔を見た。そこに浮かんでいたのは、ひどく悔しそうな表情。
「ずっと小さい時からお側にいて、ぼっちゃんを傷付ける奴は許さないと思ってたし、今でも同じ様に思ってる。だけど、こんな姿を見てると、解放軍なんかに入るんじゃなくて、やっぱりぼっちゃんを止める事が一番良かったのかもしれないって思うんだ。あの時、何としてでもぼっちゃんを止めていたら、こんな事には……」
「パーン」
 そう呼びかけるクレオの声には力がこもっていた。ここにいる少年を心配する姉の声ではなく、先輩としての声。幾度となく、パーンを叱咤してきた声だ。
「そう、私達はずっとぼっちゃんのお側にいた。本当に小さい頃から、どうしようもなく我が儘できかん坊だった頃から、ずっとぼっちゃんの成長を目の当たりにしてきた。だったら分かるだろう?私達が止めて、それで素直に聞くような子じゃないんだよ、ぼっちゃんは。本当に悪い事をした時には素直に謝るいい子だったけど、理不尽だと思う事に関しては絶対謝ったりしなかった。覚えてないかい?街の悪ガキにテッドくんの事を悪く言われた時の事を」
「あ、ああ……そうだったな。ボロボロになって帰ってきて……」
「相手の子達もかなり怪我をしたって話でね、まぁ、向こうが悪かったのは分かるんだけど―――」

『どんな事情があっても、人に手を上げるのは感心できませんよ』
『あれは、向こうが悪いんだ!』
『ぼっちゃん』
『僕は、悪くない!テッドが殴られたのに、そのまま黙ってる事なんて出来ない!』
『確かに向こうも悪かったですよね。だけど、誰かが傷付けられたからと言ってその度に傷付け返していたら、争いはいつまでたっても終わらないでしょう?』
『――謝らないから』
『ぼっちゃん。今日は大した怪我も無いから良かったですけど、今度、大怪我でもしたらどうするんです?』
『僕は絶対に謝らない。テッドに謝らなきゃいけないのは向こうだ。僕は悪い事なんて、絶対にしてない』

 堅く唇を結んで、ほとほと困り果てたようなグレミオの顔を見返していた少年。
「グレミオが溜息ついてたっけ」
「ぼっちゃんは、そういう意味では頑固だったよなぁ」
「だろう?」
 そう言って、懐かしそうに目を細める。
「ぼっちゃんはね……何かを守ろう、って気持ちがすごく強いんだよ。だから、テッドくんに託された紋章を」
 そう言って右手に浮かぶ昏き影をそっと包み込む。
「これを、一生懸命守ろうと必死だった。必死に守ろうとして――ここまで来たんだ」
 守るべき物は、これだけでは無くなってしまったけどね。
 そう、クレオが呟く。
「万が一、あの時に私達が止めたとしても、ぼっちゃんは絶対に聞いて下さらなかったよ。訳も分からず、親友を帝国に突き出すなんて、絶対に納得出来ない事だったんだ。だから」
 パーンに言い聞かせる様に。
「ぼっちゃんは今ここに居るんだよ、パーン」
 自分に、言い聞かせる様に。
「私も…そうと分かっていながら、八つ当たりしてしまったけどね……」


  + + +


「おまえ、どうするんだ?」
 手すりに背を預けたビクトールが、湖に顔を向けたフリックに聞いた。
 トラン湖に浮かぶ城。解放軍本拠地であるその場所の屋上で、フリックとビクトールは煙草をふかしていた。
 珍しく、ここには誰もいなかった。この天候のせいかもしれない。低くたれ込めた夕刻の空。後、数刻もしたら雨が降り出すだろう。
「どうするって、何がだ?」
 フリックに聞き返され、ビクトールはガシガシと頭を掻いて、言いにくそう澱み。首を振った。
「……いや、何でもねぇ」
 その様子を見たフリックが、紫煙を吐き出しながら言った。
「――サンチェスか」
 フリックの口から出た言葉に、ビクトールは少しの間を置いてから、頷いた。
「――ああ。さっき、あんな事言ってたからよ。……おまえ、赦せるのか、あいつを」
「……さあな。……まだ、分からない」
「そうか」
 風が吹き、その場に立ちこめていた煙をさらう。
 暫くして、短くなった煙草の火を潰し、ビクトールが口を開いた。
「フリック。クレオが言ってた事、覚えてるか?」
「クレオが?」
「ああ、最初、あいつの部屋から出た時に言った言葉だ」
「……ああ、覚えてる」
「あながち、間違いでもねぇんだよな」
 苦笑しながら俯く。
「あいつを巻き込んだのは……俺のミスだったかもしれねぇってよ」
「―――弱気だな」
「グレミオの時といい、あいつの今の状態といい、どこかで、何かをしていれば止められたのかもしれない。そう思うと――どうしても、な」
「……分からなくは…ないがな」
 あの時、オデッサの側にいれば、オデッサを止めていれば。
 そう思う事だけはどうしようもない。
 きっと、同じ事をビクトールも思っているのだろう。

 グレミオを止めていれば。
 それ以前に、フォルテを巻き込まなければ。

「まぁ、こんな事言ったところで、今更どうしようも無いんだけどよ……」
「……そうだな」

 後悔の念からは何も生まれない。
 後悔する事が悪い事だとは思わない。反省、という意味においては。
 だが、そこから先を考えなければ、人は前には進めない。
 どんなに悔やみ、願ったところで。
 失った時間は二度と、帰って来ないのだから。

 沈黙が重くも軽くも感じられるのは己の精神状態によるものだと。重く感じられるのは、自分が追い込まれている時なのだと、昔誰かに聞いた。
 フリックはふと、そんな事を思い出していた。
 だとすれば、今この状態は……?
 重くもあり、そうでないようにも感じる、今の状態は。

 シュッというマッチを擦る音が聞こえ、フリックが意識を戻し、隣に目を遣った。二本目の煙草に火を点け、ビクトールが煙を吐き出す。
「おまえさ、フォルテがもし、このまま目を覚まさなかったらどうするよ」
「馬鹿な事……」
 フリックがビクトールの顔を見ると、先程は違い、いつもの表情である事に気付いた。言葉通りの意味だけを持つ言葉ではないことが、それで分かる。含みのある顔だ。フリックも、それにニヤリと笑って答えた。
「当然、オデッサの遺志を継いで帝国を倒すさ」
「おまえがリーダーにでもなってか?」
「まさか。リーダーは一人で十分だ」
「そのリーダーがいなくなった時の事は考えてねぇってか」
「考えてないな」
「上等だ」
 そして、二人は笑った。


  + + +


 ビクトールとフリックが戻ると、クレオとパーンは変わらずベッド脇に腰掛けていた。クレオが部屋に入ってきた二人の方を見て、少しバツが悪そうに目を逸らす。
「様子は、変わらねぇか?」
 クレオの視線に気付かなかったように、ビクトールが問いかけた。
「……ああ、相変わらずだよ」
「そうか」
 ベッドに近付き小さく溜息をついたビクトールの耳に、小さく謝罪の声が聞こえた。
「悪かったね、さっきは」
「……何の事だ? 心当たりは無いぜ」
 ニヤッと笑うビクトールに、クレオが困ったように微笑んだ。
「……そうか、ありがとう」
 そんな二人の様子を、事情を知らないパーンは首を傾げて見遣り、フリックは、安堵したように壁に背を預けた。
 その時だった。

「まだ、目を覚まさないんだ」

 一瞬空間が歪む感覚がしたかと思うと、いきなりそこに現れた少年に、そこにいた全員が思わず瞠目する。
「ルック!!」
 声を上げたのは誰だったろうか。が、少年はその声も聞こえなかったように、ベッドに近付いていった。
 その圧される雰囲気に、思わず、パーンが自らの居た場所を譲った。
「――なるほどね」
 一人納得した様に呟き、眠っている少年の額に軽く手を当てる。
「ルック、おまえ何でここに?」
 ビクトールの問いには答えず、クレオの顔を見て言った。
「意識を失ってどれくらい経つ?」
「え?あ、そうだね、三時間半って所だと思うけど」
 だったね?
 クレオが確認し、ビクトールがそれに頷いた。
「ああ、大体そんなところだ。おい、ルック、それが何の関係――っておまえ、まさか…知ってるのか?」
 ビクトールの声に、他のメンバーもハッと気付いたように目を見開いた。
 少年が倒れたのは数日前。そしてそのまま、未だ目を覚ましていない事になっているのだ。
 少年が記憶を失った事を知ってる人間はここにいる人間と、マッシュ、それとリュウカンのみ。ましてや、数時間前に少年が突如意識を失った事など、他の人間には知らせていない。
 そんな彼らの驚きを意にも介さぬように、ルックは少年の額に触れたまま、当たり前だというように言った。
「知ってるから聞いたんだ」
 可愛げのない言葉は相変わらずだが、どこか様子がおかしい。
「なんで、おまえが?」
「そんな細かい事にこだわってる場合じゃないんじゃないの?」
 ルックの皮肉げな声に、彼らは含まれた意味を探し、戸惑ったように聞いた。
「どういう事だ」
「このまま放っておいたら危険だって言ってるんだよ」
「――危険?」
 ルックの目が、苛立たしげに細められた。
「今の状態を教えてあげようか。夢に囚われているだけじゃない。ソウルイーターに縛られてるんだよ、見事にね」

『―――!』
 全員に激しい衝撃が走る。少年を見つめる瞳は、どれも驚愕に見開かれていた。

 ソウルイーター。魂食いの紋章。
 宿主である少年の心が、ソウルイーターに縛られている?
 それはつまり、少年の魂が、縛られているということなのだろうか?

「馬鹿だね……。真の紋章は、そう簡単に御せるものじゃない。自らの意識さえもまともに保てないから――こんな事になる」
 寝ている少年―――フォルテに向けられた視線は、口調とは違い、どこか同情めいたものさえ含んでいた。
「なんで、おまえにそんな事が分かるんだ……?」
 疑問を投げかけたのはフリック。しかし、ルックはその問いを完全なまでに無視し、彼らの顔を見渡した。
「かと言って、あんた達にも何も出来ないけどね。今の状態じゃ、レックナート様の力も及ばないんだ」
 その後、微かではあるが秀麗な額に皺を刻み、顔を覗き込んで。
「――フォルテ」
 眠っている少年に話しかける。
「自分の存在を肯定しないと、ソウルイーターに」



 喰われるよ


【 慟哭 -06-  夢の辿り着く先 /end. written by 紗月浬子 】