first impression? −Ver.柚木梓馬−
La corda d'oro

 月森がレッスンに行くのを見送った後、香穂子は一通り音楽室を歩くことにした。
 理由は単純。色々な楽器をとりあえず見ておこうと思ったからだ。
 それぞれに練習している様子を興味深げに眺めつつ歩いていると――。
「ちょっと、あんた。待ちなさいよ」
 いきなり声を掛けられ、一人の女生徒がずかずかと近付いてきた。
「は?私?」
 思わず香穂子が自分を指で示すと、そうよ、とさも当然のように声が返って。
「あんたがコンクールに参加する普通科の子だよね」
 そう、音楽科の女生徒は詰め寄ってきた。
「はあ、まあ」
(誰だこれ)
 面食らいながらも頷いた香穂子に、彼女は悔しそうに歯噛みした。
「普通科の子が参加できるなら、私が参加できたっていいのに」
(…ほほー。なんか昼休みの件思い出しちゃうなあ……)
 暢気にそんな事を考えていると、
「柚木サマと一緒に参加するなんてずるいわ!」
 拳を握りしめ、香穂子の顔を睨み付ける。
(はあ?)
 何言ってるんだコイツ、とばかりに香穂子が首を傾げた時。
「待ってくれないかな」
 そんな声が割って入り、香穂子も彼女も、そちらに視線を向けた。優雅な足取りで歩み寄ってきたのは、音楽科の男子生徒。
「あっ、柚木サマ!」
 声を上げた女生徒の顔が一瞬にして桃色に染まる。彼を見上げるその顔は喜色に満ちていた。
(ユノキサマ…? ああ、なんか今、一緒に参加するのがずるいとかなんとか言ってた……)
 納得したように二人の様子を眺めた香穂子の前で、ユノキサマ、もとい柚木梓馬は、香穂子に言い寄っていた女生徒に、完璧なまでに美しい微笑みを向けた。
「彼女はただ、参加者に選ばれただけだ。咎はないと思うんだ。君が僕と一緒にコンクールに出たいと言ってくれるのは、嬉しい。今回は残念だったけど、他に一緒に何かをする機会はきっとあるから…ね」
 そう言って髪をかき上げる。
「は…はいっ!きっと、きっとありますよね!」
 彼のそんな仕草で更に頬を赤らめた女生徒は、夢見心地といったような瞳で柚木を見つめながら、幾度も頷いてみせた。それに満足したように、柚木は花のように微笑んで見せた。
「ああ、きっとね。今日は僕に免じて…」
「はいっ!お話できて嬉しかったです、柚木サマ!」
 麗しい笑顔を独り占めした女生徒は、目をハートマーク状態にして大きく頷いた後、くるりと香穂子に向き直り。
「ちょっとあんた、柚木サマにご迷惑をかけるんじゃないわよ!」
 と念を押すことだけはしっかりすると、柚木と直接話せたことが相当嬉しかったのか、今にもスキップしそうな勢いでその場を離れていった。
(な、なんなんだ一体……)
 さすがの香穂子も呆気に取られその背を見送っていると、
「ごめんね、君…ええと、そういえばまだ名前を知らなかったな」
 にっこりと笑んで振り返った柚木に、(タイの色からすると三年か)と思いながら、香穂子は名乗った。
「普通科二年の日野香穂子です」
「そう。僕は柚木梓馬。音楽科フルート専攻の三年だ。これからしばらく一緒にコンクールに出るんだね。よろしく」
「宜しくお願いします」
 軽く会釈をしつつ、香穂子はふと思い出していた。
(そういえば、この柚木先輩って有名なんだっけ……。どっかの宗家のおぼっちゃまとかなんとか…ファンクラブだか親衛隊だかまであるって、誰かから聞いたことあったような)
 先程の音楽科女生徒も、そのファンクラブだか親衛隊だかの一員なのかもしれない。
 そう考えれば、ずるい、とかいう台詞の根拠も分からなくはない。しかし。
(……知らないってのそんなこた。一々人に突っかかってくるとは、暇なことこの上なくて結構なことで)
 香穂子は思わず、呆れ半分の溜息を零した。しかし柚木はそれを別の意味で取ったのか。
「さっきの人のことなら、気にしないでね。僕から良く言っておくから」
 そう、微笑んだ。
 別にそういう意味じゃなかったんだけど、と思いながら、香穂子はどこか納得していた。
 優しくて、綺麗で、人望を集めるだけの何かを持ち。家柄も良く、ましてコンクール出場者に選ばれる実力の持ち主。
(なるほど。これは人気あるかもな)
 と。
 しかし向けられた柔らかい微笑みは、あまりにも『完璧』すぎて、香穂子は何か奇妙な違和感を覚えた。が、特にそれを追求しようとは思わず、軽く肩を竦めて笑った。
「まあ、何言われようと私はあんまり気にならないので先輩もお気になさらず」
「そう…?」
 少し眉を寄せて心配そうな表情を作る柚木に、香穂子は頷いた。
「音楽科の生徒でも、あれこれ言われてるところ、目撃してますしね。まして普通科で、となれば、これから先色々ありそうですし。彼女一人牽制してもらっても、あんまり変わらないと思うんで」
「…君は、強いんだね」
 感心したように微笑まれ、そんなことないですけど、と香穂子は苦笑した。
「先輩は、優しいんですね」
「そんな事はないよ。僕は当然のことをしているだけだ。先輩として出来る限りのことはしたいと思っているし、まして君は普通科からの参加で大変だと思うから…ね」
 僕に出来ることがあればいつでも言って欲しいと思うよ。
 あくまで優しく微笑む柚木を見ていた香穂子は、ふと、首を傾げた。
「…一つ、聞いていいですか?」
「ああ、僕に答えられることなら、なんでも聞いて」
 にっこりと促した柚木を、香穂子はじっと見つめて。
「さっき、彼女が私の所に来た時、先輩は側にいなかったと思うんですけど、私が参加者だってことで言い寄られてたこと、良く分かりましたね。ひょっとして私のこと、観察でもしてました?」
 どこか探るように鋭く見据えた視線を受け、柚木は少し哀しそうに瞳を伏せた。
「……まさか、そんなことはしていないよ。たまたま僕の名前が聞こえたからそちらを向いたら、会話が耳に入っただけなんだ。君が困っているように見えたから、僕は助けたいと思っただけなんだけど……」
 却って迷惑だったのかな、と俯いた柚木に、香穂子は、いいえ、と首を振った。
「そうじゃありません。ただ、観察するような吟味するような視線をずっと感じていたので、もしかしたら先輩だったのかなーって思っただけです。嫌な思いさせたのならすみません」
 軽く頭を下げた香穂子に、柚木は柔らかく微笑んで首を振った。
「気にしてないよ。君もきっと、色々急なことで神経を張り詰めているのだろうし…ね」
「……そうかも、しれませんね」
 微笑った香穂子に、柚木も改めてにっこりと微笑み返す。
 が。二人の瞳にはほんの微かではあるが、どこか探るようなものがあったことを、互いが感じ取っていた。
 ここに来て、香穂子は先程柚木の笑顔に感じた違和感を、何となく分かり始めていた。
 柚木の笑顔は、『完璧すぎる』のだ。人間なら誰しもが持つ負の感情などを一切感じさせることなく、まるで作られたような、人形のような『完璧』さ。
 確かに、とことん優しく、心から人を思いやれるような、良く出来た人間はいるだろう。けれど。
 柚木から感じられる笑顔や雰囲気などは、全て計算し尽くされたとしか思えない程に綺麗なもので。
「コンクールは大変だけど、無理しないで」
 彼自身がそれを意識していようが無意識だろうが、そんなことが出来るのは相当な人物だ、と思いながら、香穂子は頷いた。
「ありがとうございます。……先輩も、あまり無理なさらない方がいいですよ」
「…それは、どういうことかな?」
 柚木の瞳が、一瞬ではあるがキラリと優しさ以外の光を宿し。香穂子を見つめた。
「別に、そのままの意味です。コンクールが大変なら、先輩みたいに人気のある方は、期待を背負って尚更大変なんじゃないかと思って」
「心配してくれるんだね、ありがとう」
(これは、意識してやってる方に…一票かな)
 香穂子はそんなことを思い。柚木も、内心で香穂子がどうやら自分の内に秘めた物に気付き始めているらしい、と分かっているのか。二人の視線が柔らかい笑みという形で、だがどこか殺伐と交わされる。
 そんな水面下での静かな攻防を先に打ち切ったのは柚木だった。
 柚木としても、初対面の人間相手だということもあり、まずは様子見、といったところなのだろう。
「じゃあ、また。今度ゆっくり話ができるといいな」
「ええ、また是非ゆっくり」
 最後まで優しげな笑顔を見せてから去っていく柚木の後ろ姿を見つめながら、香穂子は小さく口元に笑みを乗せ。
「……ゆっくり、見極めてやろうってところかな、向こうも」
 面白くなりそう、と呟きながら、くすりと笑った。

【 first impression? −Ver.柚木梓馬− /end. written by riko 】