青空の果て
La corda d'oro

 本当は、一回くらい、言ってみたかった。
 言えるわけなんてないって、分かってたけどね。
 私を通り越した、あの空の遙か向こうを見てるってことを、ずっと、知ってたから。

「うん、いいんじゃない?」

 そう笑うことで、背を押す結果になったとしても。
 縋るのも、甘えるのも、柄じゃない。

「ま、精々頑張んなよね」

 いつもの顔で笑ってみせることが、私の――精一杯の矜持、だった。



 見送りには、行かなかった。
 行きたくなかったし、向こうもそれを望まなかった。
 湿っぽい別れなんて、それこそ柄じゃない。

 私は、どこまでも高い空を見つめていた。
 制服を脱いだ今、本来ならもう、ここにいるべき立場じゃないんだけど。
 少しくらいなら、いいだろう。

 空港まで、高速で二十分程度。ここから海の方角の空を見上げれば、飛行機の姿が良く目に入る。
 国際空港と言っても欧州方面への出発便はないから、アイツが乗った飛行機は当然、その中には、ないけれど。
「やっぱ、ここにいたな」
 そう言って現れたのは、他数名と一緒に見送りに行くと言っていた、土浦梁太郎だった。
 しょっちゅうケンカしてたってのに、いざって時に見送りにまで行くんだから、それなりに親しみを持っていたということなのか。まあ、男同士の友情なんて、女には計り知れないものなんだろう。多分。
「いましたわよー」
「こんなとこにいるくらいなら、行ってやりゃいいものを」
「そーだね。ライバルって名前の友達に見送られて、さぞかし居心地悪そうにしてただろうと予測がつくだけに、見逃したのは惜しかったかもしれないと思うけど」
 はあ、と呆れたような溜息が聞こえて、手摺に頬杖を付いていた私の横に、でかい図体が並んだ。
 いつも隣にいたアイツより数センチ高い背が、今は奇妙に面映い。

「あいつ、携帯変えてたぜ」
「ふーん…。次いつ帰ってくるか分かんないのに、携帯変えてなんの意味があんのかね」
「意味があるから、変えたんだろ」
「どんな?」
「日本でも、世界でも、って謳い文句、知らないのかよ」
「……へえ」
「番号、いるか?」
「いらない」
「即答かよ」
「連絡したければ、直接連絡入れてくればいいのよ。姑息なマネしないでさ」
「アイツは別に、」
「随分肩持つね。あんた達、ケンカ相手じゃなかった?」
「俺が、勝手に気付いて勝手に聞き出しただけだよ。おまえら見てると、お節介の一つも焼きたくなるだろうが。不器用で、見てられない」
「大きなお世話。人生八十年の内、たかだか四年間じゃないよ。女のことなんかに気ぃ取られてないで、しっかり勉強してこいってんだわ。こっちとは違う音楽の本場で、初心者同然の扱い受けて、山よりも高いプライドずたずたのぼろぼろにされるがいいわ。はははーだ」
「……あのな」
「ま、それで打ち拉がれて立ち直れないようなオトコじゃないわよ、アイツはね。暫くすれば、多少の余裕くらい出来るでしょ。その結果、他に惚れた女が出来るもよし、離れた時間が長くて忘れるならそれもよし」
「それで、本当にいいのか」
「別に、いいんじゃないの。自然なことでしょ」
「…冷てぇな」
「どんな女と出来ようと、うっかり可愛いベイビーなんかも作ってしまおうと、アイツの人生だもん。アイツの自由」
「……だからってな」
「ふん。もしそうだったとしても、私以外の女に手を出したこと、後悔させるくらいのいい女になってやるわよ。次に会う時、思わず抱き締めずにいられないくらいにね」
「……香穂」
「私の人生も私の自由。見てなさいよ、私はこっちでアイツに負けないくらいの音を奏でられるようになってみせるから」


 ―――寂しい、なんて。
 ―――行かないで、なんて。

 絶対に、口が裂けたって、言ってやらない。
 待っていてくれ、とも言われなかったし、待ってる、とも言わなかった。

 本当はね、一度くらい、そんな可愛い台詞も言ってみたかったけど。

「見てなさいよ、蓮」

 何の約束もない、四年間。
 もしかしたら、それ以上。
 でも、どこかで深く確信している。

 今は、離れて見えるかもしれないこの道が、いつかまた重なり合うこと。
 自分達のやるべきことを、今、出来ることを精一杯にすることで。
 きっと。

 青空の中、白い軌跡を描いて飛ぶ飛行機が、太陽の光を弾いて小さく煌めく。

 空の向こうにある国で、あいつがどんな人達と出会い、どんな生活を送り、どんな風に音を変えていくのか。

「……ま、せいぜいイイオトコになって帰ってきてちょうだい」

 遠い空の果てに想いを馳せた時、ふ、と。頬に浮かんだのは、紛れもなく笑みだった。

【 青空の果て /end. written by riko 】