Fighting Spirit
La corda d'oro

 寄ると触ると、という言葉がある。
 前々から思ってはいたことだが、なぜこうまで同じ様なことを延々と繰り返すのか。
 少し離れた所でそれを目撃した香穂子は、はあ、と呆れた様に溜息を付き。つかつか、と歩み寄って、香穂子が近付いていったことにも気付かず睨み合いを続けている二人の頭を、思い切り伸ばした手で、同時に引っぱたいた。
「んっとにもう、いい加減にしなさいよ!」
「いてっ…な、香穂!」
「香穂子……」
 叩かれた頭に咄嗟に手を遣り、驚いた様に目を丸くする二人を、香穂子は腕を組んで、じろりと睨め付ける。
「学校内ならともかく、ここは天下の往来。あそこのオバサマもあっちのお姉さんもあの店の店員さんも、さっきからみーんな君らに注目してるわけ。若くて綺麗な男の子が二人、一体こんな所で何を言い争ってるのかしら、とね」
 言われて、二人が周囲に目を遣った。慌てて目を逸らす者有り、香穂子が割って入ったことで更に興味深そうに見守る者有り。確かに、周囲の注目を集めていたのは間違いないらしい。
 バツが悪そうに顔を見合わせた後、これまた計った様に同時に顔を逸らす。
 それを見た香穂子は、再び大きく溜息を付いた。
「…気が合ってるんだかないんだか……」
「「合ってない!」」
「……同時だし」
 また二人は睨み合ってから、フン、といったように顔を背けた。
「…そういうの、何て言うか知ってる?」
「何がだよ」
「何の事だ」
「同族嫌悪」
 呆れた様な香穂子の声に、二人は至極嫌そうに顔を顰めた。
「誰が」
「こいつなんかと」
 揃えた様に口にする二人の腕を、香穂子はぐい、と引っ張って。
「とりあえず場所変えよう場所。これ以上目立ちたくないでしょーが」
「分かったから」
「引っ張らないでくれないか」
(本当にこいつらは……これでも気が合ってないと言うつもりか)
 やれやれ、と溜息を付いて、香穂子は二人の腕を放し、先に立って歩き出した。
 後ろの二人が今頃、互いを牽制する様に睨み合いつつ歩いているだろう事を想像しながら。

「で」
 香穂子がベンチに座って立っている二人を見上げた。
「今更君らの喧嘩の原因を知ろうとは思わないけど、少しはこうなんて言うか、『友愛の精神』っつーものを身に付けらんないわけ?」
「友愛の精神?」
「こいつとか?」
 冗談じゃない、と二人は同時に目を見開く。香穂子はベンチの背に完全に身を預けた状態で上を向いた。
「コンクール参加のライバルってのはともかくとしても、こんなに仲悪いの、二年コンビだけだよ。二人だけならともかく、私も二年だってことで同様視されんのがムカツク」
 その言葉に、二人は怪訝そうに眉を顰めた。
「同様視とは?」
「誰かに何か言われたのか?」
「今回参加の二年は協調性に欠けるとかその所為で雰囲気を悪くしてるとか何とか!大体、噂ってのは回りまわって必ず本人の耳にも入る様になってんのよね。けどなに?アンタ達二人が協調性に欠けてようが何言われてようが構わないけど、どーして私までもが十把一絡げ的な言い方されなきゃいけないわけ?」
 ぎっ、と二人を睨み付ける香穂子の視線は、剣呑と言ってもいい。明らかに不機嫌で、二人に対して腹を立てていることは一目瞭然だった。
 ようするに、自分が謂われのないことを言われている事実が何よりも気に食わない、と。そういうことなのだろう。
「……お前、それ結構、自分勝手なこと言ってねぇか…?」
 半分呆れたような土浦の言葉に、香穂子は、ふん、と胸を張った。
「うるさいな、私は自分勝手で我が儘なのは自覚してんの。けどコンクール参加者のみんなとだって仲良くしてるし、第一、私は人と話すことが好きなんだってば。協調性がないとかって言われるのは心外この上ない!」
 誰に対しても物怖じせず話しかけ、拙くても人前で演奏することを恐れず、口さがない人間の言葉にも怯むことなく。短い期間であるにも関わらず、着々と友人や理解者を増やしている香穂子を以てして、協調性がないという言葉は確かに当てはまらないだろう。
「……まあ、それは確かに…」
 そう呟いた月森に、香穂子はうんうん、と納得した様に頷いて。
「でしょ。今や音楽科の子達とだって仲良く合奏なんかもしちゃう、この香穂子さんがよ、寄ると触ると喧嘩してる君らと一緒にされるのはどう考えてもおかしいと思わない?」
 寄ると触ると喧嘩している、と言われても否定出来ない二人は、思わず黙り込んだ。が。
「…でも香穂、おまえこの間、音楽科の女子と喧嘩してなかったか……?」
 先日のことをふと思い出した土浦に突っ込まれ、一瞬、香穂子は怯んだ。
「…なんで知ってんのよ」
「たまたま通りかかったんだよ、お前が相手をやり込めてる所。俺が入るまでもなく、相手が逃げる様にして去ってったみたいだったから、そのまま放っておいたがな」
 違うか?と問いかけてくる土浦の視線、それと、そんな事があったのか、と少し驚いた様に香穂子を見る月森の視線を受け止め、ぐ、と言葉を失い欠けた香穂子だったが。思い直した様に、二人の顔を順に見渡した。
「だってよ?なんであんたがコンクールに出れるのよ、とか何とかあたしに言うな!っつー言い掛かり付けられて、あまつさえ……って、んー、これはここで言っていいものかどうか分かんないけど言う!大体ね、アンタ達とか柚木先輩とかがやたら女子に人気あるせいでね、私や冬海ちゃんなんかはもう低次元な嫌がらせに晒されて、もう面倒だったら!」
 思ってもみない言葉に、二人は目を見開いて。互いの顔を見合わせた後、香穂子を気遣う様な視線を向けた。
「…そうなのか?」
「嫌がらせだと…?」
 が、香穂子は、気を取り直した様に笑い。
「ま、今のは気にしないように。別にアンタ達が悪いなんてこれっぽっちも思ってないし」
「だが……」
「何だよ、今までそんなこと一言だって……」
「ああいいのいいの、だから言ったでしょ、気にしないでって。冬海ちゃんのことは気を付けるようにしてるし、私はそういう理不尽な言い掛かりに腹立つだけで、特にへこんでるとかそういうのは一切ないから。最近はそういうのも大分少なくなったしね」
 言葉通り全く気にしていないのが分かる笑顔で、けろりと言う香穂子に、土浦はニッと笑った。
「さすがだな、香穂」
「まーねー、って、ほら、月森くんもそんな顔しない!」
 そう言って、考え込む様に俯いてしまっている月森の顔を香穂子が覗き込むと、それ以上気にしていても仕方ないと悟ったのか、ああ、と微笑んだ。その月森と、土浦の顔をじっと見つめ。香穂子は言い切った。
「だから私のは、正当防衛。文句ある?」
「……ない、な」
「俺は最初から文句を付けようとは思わなかったが」
「な、月森お前、自分だけいい格好するつもりか」
「別に。本当のことを言っただけだ」
「ってだから!すぐそうやって低次元な言い争いに突入する癖をなんとかしろっての!」
 我慢しきれなくなったのだろう、香穂子は勢いよく立ち上がり、睨み合う二人を手で押さえる様にして間に入った。その二人は(別に癖じゃない)と思いながらも、無言のまま顔を背ける。
「大体ね、イニシャル一つで喧嘩にまで発展するってどうなのよ。でかい図体した高校生男子がよ?」
「あれは、」
「別に俺は、」
「ストーップ! 同じ事何度も言わせんな。つーわけで、今日から君たちに、この香穂子さんが友愛精神を叩き込んであげます」
「はあ!?」
「な、どういうことだ」
 目を剥いて香穂子を見下ろした二人の視線を受けながら、香穂子は一人納得した様に幾度も頷いている。
「大体、合奏しようって誘っても、君ら二人は『コイツとか』っつー顔して嫌がるし」
「実際に嫌なんだから仕方ないだろう」
「それはこっちの台詞だ」
 香穂子より頭一つ分大きい位置で幾度目かの(回数を数える方が馬鹿らしくなる程だという事は間違いない)睨み合いを開始した二人の腹を、香穂子は拳で殴りつけて。
「……だからっ!いちいち互いに突っかかるな!このバカタレ!」
 女の力ではあるものの、力一杯腹を殴られ、一瞬息が詰まるのを感じながら二人が香穂子を見下ろす。と、睨み付けてくる香穂子の視線は、逆らうことを許さない程、きつく険を含んでいた。
「明日から、練習室を毎日確保。三人で合奏します。曲は…んーと、ヴァイオリンとピアノと一緒に合奏出来る曲って何かあったっけ」
 言いながら、自らのヴァイオリンケースを開けて、中から楽譜の束を取り出し。パラパラと捲っていく。すると、お目当ての物を見付けられたのだろう。あったあった、と、数枚の楽譜を抜き出し。黙りこくって様子を見守っていた二人に、とある楽譜を見せた。
「『遙かなる時空の中で』。これ、ヴァイオリン二本とピアノで合奏出来るから」
「…聴いたことのない曲だが」
「俺もだ」
「アンタ達は私とキャリアが違うんだから、楽譜見れば弾けるでしょ、文句言うな。勿論コンクール中だし、時間全部を使えなんて無茶は言わないよ。けど、一日三十分くらいの時間、空けられるよね?」
 駄目だなどと言わせる気は更々ない、とばかりの迫力に満ちた声。
「……分かった」
「お前がそれで納得するなら…しょうがないな」
 仕方ない、とばかりの溜息を零し。二人は渋々頷いた。
 それを見た香穂子は。
「よーし!これで、不名誉な私の噂話も払拭出来るってもんよ!」
 と、悦に入っていた。

 勿論香穂子とて、こんな単純なことで二人の関係が改善されるなどとは露程にも思っちゃいない。が、まずは二人が互いを認め合うこと、その機会を作ることから始めなくてはならないことも、良く分かっていたから。
(まあ…意識してるかどうかはともかく、どっかでは認め合ってるんだろうとは思うけどねー)
 とりあえずは互いの音楽性を思う存分ぶつけ合って貰おうか、と。
 苦笑気味な内心の呟きは、表に出されることなく。香穂子の胸だけに仕舞われたのだった。


 それから数日後。

「何度も言わせないでくれないか、情感に強く傾きすぎた演奏は聴いていて押しつけがましいことこの上ない」
「技術一辺倒の演奏しかしないヤツにあれこれ言われる覚えはないな」
「…ったくもう、いい加減にしろーっ!!」
 香穂子の怒鳴り声が、今日も練習室の窓から外に響き渡り。

「うわー、香穂ちゃんたち、またやってるよ」
「まあ、あれはあれでバランスが取れているんじゃないかと思うよ」

 そんな三人の構図は今や名物と言ってもいい。端から見ている人間の興味を惹く格好の対象だからこそ、様々な噂という形にもなるのだろう。

「もう、最初からやり直そう最初から!」
「……分かった」
 頷いて、月森が再び楽譜に目を通し始める。その月森を横目で見つつ、土浦は香穂子を呼んだ。
「おい、香穂」
「なにさ」
「ちょっとここの音くれないか」
 楽譜の一部を指差す土浦に香穂子が「オッケー」と頷いて、二人で音を合わせ始めた。そうしてすぐ、月森の剣呑な目つきを感じ取った土浦が、ふん、と少しだけ得意そうな表情をしてから、香穂子の顔を見上げた。
「ああ、そうだ。昨日言ってたCD、姉貴が貸してくれたんだが、持ってくるの忘れてさ。良かったら今日、帰りにウチに寄るか?」
 先制攻撃は土浦。
「え、ホント?!行く行く!」
 喜び勇んで頷いた香穂子に、今度は月森が。
「香穂子。CDで思い出したのだが、先日聴きたいと言っていた曲を、次の日曜のコンサートでやるらしい。俺も聴きたいと思っていたから、チケットを二枚取ったんだが、良ければ一緒に聴きに行かないか?」
「勿論!やったー!」
「……チッ」
 単純に喜んでいる香穂子は、男二人の心中にある気持ちに気付いているのかいないのか。
「まーたそうやって睨み合う。いい加減にしてよもう」
 溜息付きつつも、香穂子はヴァイオリンを構えて。
「さ、始めようよ」
 そう言って笑った。

 練習室の窓からは、三人の紡ぎ出す調べが美しく重なって溢れ出し。その音が届く範囲にいた者達はゆったりと耳を傾けた。
 音楽に対する気持ちがどこまでも真摯であるだけに、その音は人を惹き付ける。
 たとえ、演奏者である彼らの間に、火花が飛び交っていたとしても。

「アイツのことだ、彼らの感情に気付いていないわけがないだろうけど――。まあ、今はこの状態が一番心地良い、ということなのかな」
 一緒にいた火原が用があると言って去っていった後も、柚木はまだ、一人その場に留まっていた。
「まあ、端から見てる分には面白い見物だ。思う存分牽制し合ってくれ、と言った所だけどね」
 高みの見物を決め込んだ三年生は、そう呟いて。最後のワンフレーズを耳にしながら、ほんの僅か含みのある微笑みを浮かべ、優雅な足取りでその場から立ち去った。


 二人の間に決着が着く日は来るのか来ないのか。
 まだそれは、誰も知らない。

【 Fighting Spirit /end. written by riko 】